シェフ清水の気ままに♡

【 何だろう? 】

この鍋に入ったものなんだと思います?

エスニック料理を作るのには必要ありません(笑)
でもフランス料理を作るには欠かすことの出来ない物です。

フォン・ド・ヴォーと言い訳すと仔牛のダシです。
フランス料理を仕上げる上で欠かすことの出来ない存在で、
主にお肉のソースのベースになります。

フォン・ド・ヴォーの取り方も人それぞれで全く変わりますけど、
僕は今から25~30時間かけて仕上げます。
骨を水にさらして血を抜き
焦がさないように焼き色を付け
乾燥させながら3時間ほど焼きます。

骨さえ上手く焼くことができれば
そのうち完成します。
師匠から学んで一番難しかったのは、
骨の焼き具合。
もらったアドバイスは、「こんなもんや」この一言(笑)

市販品を買えば手間はかからず届いて袋を破るだけ。
それが良いか悪いかは別として僕は使いたくないから作ります。
自分の味ですと胸を張るために!

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【 何を求めて日々食すのか? 】 

気が付けば両親から生をもらい間もなく半世紀。
料理人になって間もなく30年。

子供の頃や料理人の扉を開けた頃といえば、10年後すら想像できなかったのに遥かにそれを超えた今を生かしてもらっている毎日です。

以前も書きましたが、
悲しいかな父親との別れがなければ
僕の料理人としての今のスタンスは皆無です。

それまでは一年中出回る野菜や養殖の魚を使って、
上塗りした料理だったなと恥ずかしながら
たまに振り返ります。

様々な事故が世界中で起こる中、
天然の魚、農薬不使用の野菜、抗生剤不使用の肉、
どこまで安心かと言われれば正直疑問です。
ただ、養殖の魚、慣行栽培の野菜、抗生剤まみれの肉、
どうなんでしょう?

僕自身父親からのメッセージと受け止めて、
仕入れの値段は格段に上がりましたけど
今からを担う子供達、
そしてその親御さん達に料理人として
伝える事が出来る事は何?と
自問した自分なりの答えが
シュシュとして料理を提供している答えです。

巡り会わせと言いますか、
こだわりまくりの生産者と多く出会い
更に助長していきました。

当たり前だった昔、
何事にも便利になった現在、
どちらが良いのかは個々の判断だと思います。

僕個人の意見としては、
四季を感じながら生きていた昔、
季節ごとにしか口に出来ない食材。
身体に合っていたのかな?
と感じています。

僕の中では皆無ですけど、
作り手の判断の中で何を使ってお皿を表現するのか?
和食・イタリアン・中華・フレンチそれ以外にも
世界には多くの料理が存在する中、
楽をするとか儲けるとか
今は手段が沢山あります。
料理人でなく調理人が多い世の中なのが悲しいです。

僕は経営者としてはレッドカードですー!

【 生徒から愛弟子へ 】

食育を兼ねて料理教室を始めた当初から通ってくれてる娘さん。
包丁を上手に使う幼稚園児だったのに今は小学2年生。
最近はバレエに忙しく時間を割いているので料理教室には参加できていませんが、昨日久々のご対面。親御さんに言わせるとプチ反抗期らしいのですが、まだまだ可愛いものです。

一緒に写真撮ろう!
と声をかけたら二つ返事でこの笑顔。
さすがにバレエのポーズはしてくれなかったけど
お料理共々気に入ってくれていてこちらもうれしい限り。

他にも沢山いる愛弟子の中から料理人誕生しないかな~?


どっちでしょうか?

今日のディナーにご来店されたお客様に「沖縄出身ですか?」と聞かれました。

アラカルトのメニューに沖縄の食材が多くラインナップされているのでもしかしたらと思われたそうです。

僕は保育園から高校まで小牧ですと答えた後に
「濃い顔してないでしょ?」と尋ねたら
お二人に「十分濃いです」という返答が。
おまけにはもってたなぁー(笑)

何はともあれお誕生日おめでとうございました!!

僕の顔って濃いの??
皆さんジャッジお願いします!!

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【 14年ぶりに初心に戻り 】

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シェシュシュのトイレの洗面所にあるいつもの光景。

お店をオープンする前に
フランスへ備品を買い付けに行きました。

お皿、洗面台、CD、灰皿(当時は喫煙可)でしたから。
僕の必需品としてコックコートと本。

当時、僕の後輩がワーキングビザを取りまともに働いていました。
僕は、不法就労(笑)※半年振りに続き書きます。

ほぼほぼ買い揃える事ができたのですが、
洗面台は気に入った物に出会えなくて半ば諦めていました。
フランス買い付け最終日、
悲しいテロが起こったムーラン・ルージュの向き合い側にある
アスティエという名のビストロで食事をすることに。

爪先立ちで動かないと歩けないくらいの店内ですけど、超満員でした。
フランスに行くけどお勧めのお店ある?
と聞かれれば
今でもお勧めする一軒です。
前菜とメインがいくつか用意されていて、
食べたい物を頼むスタイルです。
後輩は牛の脳みそを頼みましたが、
お店のマダムも顔をしかめました。
(お店のメニューに載ってるのをたのんで顔をしかめるのはどうかな?)
と思いながらも僕は自分が頼んだ料理を美味しく頂きました。

お腹が満たされたあとに
入ったお店で目を奪われたのが
大理石で作られた洗面台。
でも、
よく見ると値札がついてなかったので尋ねると、
社長がいないから分からないから明日また来て。

いやー、
来たくても来れない。
頼みこんで社長に連絡を取ってもらい売ってもらいました。

ただ、
荷物は既に重量を超えてます。
リュックに背負い肩がはちきれそうになるのを耐えながら、
機内持ち込みで遥々日本へようこそです。

真鋳で作られた蛇口は、
パリで一番大きな蚤の市、
クリニャンクールでガラクタのように扱われていたんです。
これ欲しいと値段を聞いたら2000円もしませんでした。

でも、口径が日本との物とは合わなかったので、ほぼ門前払い。
僕の気持ちを汲んでくれた方が加工してくれたおかげで今があります。

くすむ風合いも味があると思うのですが、
お同様に磨いてみました。

自己満足です

【 ビザ無しフランス修行 7 】

シェフの子供は双子で当時3才だったからもう20才間近。マダムはセリーヌ・ディオンそっくりな方でしたから、綺麗なマドマゼルになっているんだろうなぁ。

GEXというのは隣の村、ブルー・ド・ジェックスというブルーチーズの名産地でもあります、僕が居た村も含めて緑が豊富で至るところにプランターが置かれお花が飾ってありロータリーも写真のようにとても綺麗に飾られていました。ビルにはだまし絵もあったりと日本との違いを行ってすぐには痛感しました。現在シュシュの店先にあるプランターもここで見たものをイメージして作ってもらったんです。

そんな隣村のバーへいつものようにシェフと飲みに行っていたある日、バーのパトロンがお店の買い手を探していて僕に買わないかと。いやいやビザすらないのにお店買うなんて無理でしょ~(笑) シェフまでやれやれと言い出すも、僕はシェフが買ってビザ下ろしてとしまいには皆言いたい放題。

パトロンがこの場を離れシェフと料理の話を色々としていた折りに賄いの話にもなり、フランスの賄いはあんなもんなの?と聞いてみたらあいつの作る料理は酷いと一蹴。因みに僕は若い頃先輩によく賄い作って捨てられた過去の持ち主です(笑)

若いコックが病欠で休んだときにシェフが賄いを作ってくれました。ソーセージを詰めたブリオッシュに牛ほほ肉の赤ワイン煮込み、美味しかったなぁー。

最近廣瀬さんの後押しもありパンも焼いてるからレシピ探して焼いてみよ!

続く

【 ビザ無しフランス修行 6 】

シェフは、自宅からコックコートで出勤してたのでそのままの格好ですけど、僕の中でコックコートは神聖な物なので、仕事が出来ないくせに当初から厨房を出るときには脱いでました。

すばやく着替えシェフの車で隣村のバーへ。
バーといっても大衆バーで皆が楽しくワイワイしてます。

この当時の僕はタバコを吸っていてシェフも吸ってたんですね。
日本で1箱250円弱の頃フランスで380円くらいでした。
しきりにシェフがタバコを勧めます。身体には良くないけど、
タバコはとても高価なんです。自分で持ってると言ってもいいからこれを吸えと。日本で僕が後輩と食事肉時と同様、下の人間にはお金を払わせないのと同じだなと感じました。
僕が若かりし頃の先輩たちも同じ振る舞いで、
お前が上に立ったら払えと身を持って学びましたから。

ぶらぶら歩いていると、
全く知らない子がタバコくれと言ってくる事も日常でしたし。

このときの給料を皆に聞いてみたら、
10万円から12万円程、僕は11万円。
シェフは知りませんけど・・・

ここで料理について僕は辞書を片手にシェフと話し
始めの頃と同じ事を話しましたのにシェフは、
「お前はフランス料理を作っているんだな」
と言ってくれたのも嬉しい一言でした。
この時、日々の賄いが美味しくないけど普通なの?
と投げかけたら、あれは酷すぎるとシェフも言っていて、たまたまシェフが作る事になった賄いはお客様にだす料理同様とても美味しかった。

何回か隣村のバーで一緒に飲んだとき、
「ミツ、今度の休み食事においで!」
と誘ってくれたのは、
とても嬉しいけど足もなければ場所も分からない!

当日シェフが愛犬と迎えに来てくれました。
そしてお家で出迎えてくれた奥さんはセリーヌ・ディオンそっくりに綺麗な人で娘はまた可愛い双子。

シェフの手料理を堪能しました。

行きつけになったバーの店主が、
ビザさえない僕にびっくり発言!

続く

 

【 ビザ無しフランス修行 5 】

僕の年が分かると掃除をしていてもアレクシーが「お前は先輩だから俺がやる」としきりに言ってきましたが、仲間だからそんなことは関係無いと突っぱねてさっさと終わらせ休憩に入ります。そして買い物に行き両手に重い荷物をぶら下げて寮に戻る。中身は殆どビール。値段は安く330ミリ入りの缶で50円程度だったと思います。ただあっという間になくなるので、ラム酒を加えアルコール度数をグイっと上げてました(笑)

渡仏する前に先輩からどんなに小さな村にもバーとタバコやさんはあると聞かされていましたが、僕が生活している村にはありませんでした。移動するには徒歩が基本、スーパーは片道30分、郵便局へは1時間かかるんです。おかげで2時間くらいなら苦もなく歩くようになりました(笑) バス停を見つけましたが1日5本程度で流しのタクシーはゼロ、どれくらいの田舎かご想像できると思います。自由に動けるけど軽い軟禁状態。

ロケーションだけは抜群に良かったですね。周りには草が生い茂った緑色と真っ青な空のコントラストの綺麗なこと、天気の良い日にはジュネーブのレマン湖に吹き上がる噴水とモンブランも見ることが出来ましたし。牛もすぐ近くで生活していましたけど、夜中に鳴かれるとさすがに寝れない。

またお店には21才のコックが一人いて、彼が毎日2回の賄いを担当していたのですが、「味覚は大丈夫か?」と思うくらいにくそ不味い。肉も魚も焼くだけでソースがない。市販のラザニアとムール・フリットが唯一食べれたくらい。シェフも何も言わない。たまに見かねたアレクシーがソース作ってましたね。普段の仕事を見ていても向上心をあまり感じられなかったなーと。

僕が着ていたコックコートは胸元に名前が刺繍してあるにも関わらず、シェフはミツと呼びパトロンはイトウと呼ぶ。(以前イトウという日本人がいたらしい)おまけにポーランド人はシミザと呼ぶ。途中で諦めました。

ある日の夜、店でビールを飲んだあとシェフがミツバーに行こうと飲みに誘ってくれたんです!

続く

シェシュシュのホームページ
http://www.chez-chouchou.com

僕も農家さんもつらい時期

もういくつ寝ると端境期~♪
春が近づくにつれ避けては通れない期間が間もなくやってくる。

露地栽培のみの農家さんとしかお付き合いがないのでいたしかたなく。

季節感無い年中同じ野菜が買えても
悲しいかな旨味はとーっても少ない。

今のスタンスで料理を作る前は、
旬など気にせず農薬使われていようがお構いなし。

一度入り込むと抜け出せないアリ地獄!

【 ビザ無しフランス修行 4 】

いざお寿司を作るにしてもネタはサーモン、シャリがあると言っても日本のお米とは程遠く茹でて使うからサラッサラッで粘り気無し。当然お醤油もあるわけないので仕方なく塩とレモンでサーモンに下味をつけお米は塩・砂糖・ヴィネガーを使い味付け。これだけでは足りないだろうと思い魚料理を一品用意しておきました。

食事を始めて間もなくパトロンがやって来て「寿司最高だ!」と言って戻っていきましたが、自分で食べても美味しくないしシェフも美味しくないと言う。まぁしょうがない。ただ魚料理は美味しいと誉めてくれ「俺と一緒にやるか?」と誘ってもらえたので、即答「ウィ、メルシー!」←発音が微妙に違います(笑) この日のランチからシェフの補助が始まり一歩前進です。

一度認められると一気に門が開く感じですね。仕込みの段取りから発注まで全て任してくれるようになるのにさほど時間もかかりませんでした。オードブルのポジションにいたアレクシーという名の今でも仲の良い料理人の仕込みも手伝うこともありましたが、一緒に食事に行くとフランス人の陣取っていた席に何と僕の席まで空けてあったときにはたまらなく嬉しかったなぁ。 休み前の昼に1週間貯めたチップをスタッフ皆で分けるのですが、シェフの心意気で僕もフランス人達と同じにしてもらえました。

日本から砥石を持ってきてたので昼休みには包丁をよく研ぎ、抜群の切れ味に皆大喜び、アレクシーには研ぎ方を教えてました。

いつ頃からかディナーが終わると毎晩テラスでシェフとアレクシー、僕の3人で1リットルのビールを2本飲みながら料理談義です。僕が会話に入っているときは二人とも分かろうとしてくれているし分からせようとゆっくり簡潔に話してくれるんですけど、二人で会話し出すと超早口。所々しか理解できずひたすらビールを飲む(笑) そこで驚いたのは、シェフに対しても経験関係なく自分の意見をはっきりと言うんです。正直日本では考えられない光景でした。

当時の年齢は、シェフ35才、僕31才、アレクシー23才 。
僕自身もそうでしたが、日本で23才だとまず駆け出しの坊主です。
フランスでは修行に入るのが早いので経験が何年も違います。
ある時アレクシーと二人で飲んでいた時に僕に年齢を聞いてきて31才と答えると彼は目を見開いてビックリ、逆に彼の年齢を聞いて僕がビックリ!

続く

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