月別アーカイブ: 2016年10月

【 何故料理人になったのか? 8 】

地元に戻り二件目のお店でシェフをしていた27才の時に
待ち望んだお店に欠員が出でシェフから連絡をもらったのですが、
恥ずかしながらシェフという立場から2番手になるという事で即答せずに躊躇してしまったんです。

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翌日、師匠から電話が。
「おう、わしや」←これだけ聞くと恐い人(笑)
「お世話になってきます」
「気張れよ」
ものの10秒足らずの会話で終了。

最後の修行が始まりました。

話は戻りますけど、
元々料理人になるには反対していた母含め祖母と伯母。
母はいつ頃からか何も言わなくなりましたが、
祖母と伯母の二人に限ってはいつか止めると思っていたみたいです。
ある時「いい加減サラリーマンでもやれば?」と言われましたから(笑)
これを期に二人も諦めたようです。

1日の拘束時間はとても長く休みも少ない、
今で言うところのブラックな職業にど真中のストライク。
好きだから続けられます。

師匠から料理の基礎と人として、
先輩から更に完成度の高い料理を学んだ事が
今僕が作る料理の基本になってます。
そこに年齢を重ねて得た物で日々少しずつ表現も変化してます。

 

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【 何故料理人になったのか? 7 】

師匠の元を離れて地元の小牧に戻り
新たな修行先を探すまでとりあえず
バイトでもしようと近場で募集していたお店に面接に行くと、
社員でなら採用と言われ、
ではお願いしますと少々方向転換。

初出勤した当日の仕事終わりに歓迎会を開いてもらったんです。
その場でこのお店のシェフしてた人が、
独立するから辞める。

僕は勉強したいと思えるお店を探すための場つなぎでしたから、
暗闇の猫のように目がまんまるでしたね。
イタリアン出身の方でパスタがとても美味しかったです。

お店を辞める話が具体的になった時、
社長がイタリアンを頭でやってくれないかと打診されました。

僕の中ではフランス料理を更に勉強したい気満々でしたから
イタリアンと言われても響く訳もなく、
イタリアンを維持するなら他の方を探してくださいとお伝えして。

それなら清水の作れる料理に任せると、
言ってくれた社長のおかげで子供のおもちゃ箱サイズの引き出しから始まりました。

自分がシェフになるという嬉しさ反面、
こんなんであかんやろと思う自分。

自分自身で器量も分かってますから、
恥ずかしながら師匠に報告すると、
凄く喜んでくれたんですね。

上に立場になると教えてくれる人が当然ながら学べない立場になってしまいます。
僕の先輩であり師匠の後輩がシェフを勤めるお店で
僕が働いていたお店が

休みの日に研修生としてに受け入れてもらい多くの料理を学びました。 

スタッフの空きが出るのを待ち再び修行に入ります。

続く

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【 何故料理人になったのか?7 】

許してもらってから会話は増えましたけど
相変わらず容赦ない日々(これは僕目線、シェフは逆と思います)

ただ仕事が終わると、
「おい、飯行こか?」
「はい」
行くお店はいつも同じ和食屋さん。

シェフが通うくらいのお店でしたから何を頼んでも美味しかったですね。美味しい料理を食べながらお酒を嗜む。この頃の僕は殆どお酒が飲めなかったんですが、シェフはおもいっきり飲んでました。(笑) それでもお酒の弱い僕に一切強要する事なく自分のベースで楽しめば良いと。

30分前までは般若の顔で怒っていたシェフなのに、
お店を出ると一切怒る事なく仕事の話も皆無でした。

「お疲れ様でした」と挨拶をして帰宅。
翌日厨房では般若の顔したシェフ。
そのあと飯。

オンとオフの切り替えが自然と植えつけられて現在に至ります。

シェフが結婚されてからは度々ご自宅に招いて頂きました。
奥さまもとても料理がお上手で、
シェフから「お前遠慮なくおもいっきり食べるな」
と笑いながら毎回言われてましたね。
そんなある時、
「どれだけ怒ってもめげずについてきた」と誉めてくれたのですが、
「あんだけ怒られてめげないわけないでしょ?」と答えたら
おもいっきり笑ってました。
笑顔がとても素敵です。
もしかしたら普段強面の反動かも。
最近は中々お邪魔できませんけど
有り難いことに今でもお茶碗とお箸を置いてくれています。

僕の先輩達は、
今でも電話が鳴ると緊張するみたいですけど、
僕は冗談言えて会話の中で突っ込んでも許されてます。

シュシュのオープン時には手伝いにも来てくれまして
そのとき以来「親父」と呼んでます。

親父の下に付いたことで
とても幅広い視野が持てました。

長年付き合っていてあぁ、
認めてくれたかもと思えた瞬間は今でも忘れません。

続く

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【 何故料理人になったのか? 6  】

現在シェシュシュでお出ししているエスニック料理。
専門学校時代のアルバイト先のお店でした。

巡りめぐって正社員としてお世話になりました。
そのお店の店長が今の親父と呼ぶ師匠の後輩に当たるんです。

店長に紹介してもらいフランス料理を休みの日に学びに行く日が続きました。

シェフの作る料理全てを味見させてもらえました何がフランス料理かは分からないですけど全てが美味しい。

研修でお邪魔したいた時とアルバイトの子達には一切怒りませんでした。

僕が社員として正式に下につくとびっくりするくらい厳しい毎日。
先輩達から言わせれば、
手が出ないからよっぽどましと言われ。

ある時突然シェフがぶちギレる!

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僕には意味がわかるはずもなく、
二週間程の会話と言えば、
すいません・おはようございます・お疲れ様でした・賄いできました・いただきます・ご馳走さまでした、これでまかなえました。
相当辛い環境ではありましたが、
前の職場の事があったお陰で乗り越えることができました。

あぁ、あの時の経験が役に立ったと心底思えた瞬間です。
それがなければ間違いなく辞めてたなと思うからこそ余計にありがたい経験でした。

ある日シェフが、
「お前辞めたいと思うてるやろ?」
と聞いてきました。

僅かながら過去の経験から自分自身が感じていた事として
乗り越えるべき壁と思っていましたから、
「僕の試練と受け止めてます」
と返答したら、
シェフは笑いながら
「お前うまいこと言うなぁ」

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許したるわ!と言われ
対応が明らかに変わりました。

僕が不甲斐なかったのは分かるのですが、
何を許されたのかは未だに分かりません。

明らかに言えるのは、
僕が今料理人としているのはこの人のお陰です。

続く

シェシュシュのホームページ
https://www.chez-chouchou.com

【 何故料理人になったのか? 5 】

無理やり働かせてもらった後再び専門学校時代の京都へ。
紹介で雇ってもらったホテルのレストラン。

当時のチーフ35歳セカンド30歳、
ここから年の差が一気に開き23歳の先輩、
同期と僕、年下ながらも中卒上がりで先輩二人。

同期は器用でそつなく全てをこなしていく反面、
全てをこなせない僕もそこにいました。

同じことを話しても同期は笑いになり僕はマジギレされる。
23の先輩には「もう明日から来ない」と言いつつ
翌日またいるんです。
毎日辞めたいと思いながらも辞めなかったのは何故か?
学費を払ってもらった親に申し訳ないのと
沢山の知人の応援をむげにしてはいけないという気持ちが強かったから。

たくさーん蹴られどつかれ、
年下の後輩からは嫌みの毎日。

料理人を目指して働き始めたはずなのに、
嫌々職場に通う毎日。

正直やさぐれてました。

後々この時の経験がありがたいくらい役に立ち
僕が親父と慕う更に厳しい料理人の下で耐えうることが
出来たのでとてもよい経験をさせてもらえました。
(その当時はこれっぽっちも思えませんでしたけど)

続く

シェシュシュのホームページ
https://www.chez-chouchou.comhoho