日別アーカイブ: 2017年3月7日

【 ビザ無しフランス修行 7 】

シェフの子供は双子で当時3才だったからもう20才間近。マダムはセリーヌ・ディオンそっくりな方でしたから、綺麗なマドマゼルになっているんだろうなぁ。

GEXというのは隣の村、ブルー・ド・ジェックスというブルーチーズの名産地でもあります、僕が居た村も含めて緑が豊富で至るところにプランターが置かれお花が飾ってありロータリーも写真のようにとても綺麗に飾られていました。ビルにはだまし絵もあったりと日本との違いを行ってすぐには痛感しました。現在シュシュの店先にあるプランターもここで見たものをイメージして作ってもらったんです。

そんな隣村のバーへいつものようにシェフと飲みに行っていたある日、バーのパトロンがお店の買い手を探していて僕に買わないかと。いやいやビザすらないのにお店買うなんて無理でしょ~(笑) シェフまでやれやれと言い出すも、僕はシェフが買ってビザ下ろしてとしまいには皆言いたい放題。

パトロンがこの場を離れシェフと料理の話を色々としていた折りに賄いの話にもなり、フランスの賄いはあんなもんなの?と聞いてみたらあいつの作る料理は酷いと一蹴。因みに僕は若い頃先輩によく賄い作って捨てられた過去の持ち主です(笑)

若いコックが病欠で休んだときにシェフが賄いを作ってくれました。ソーセージを詰めたブリオッシュに牛ほほ肉の赤ワイン煮込み、美味しかったなぁー。

最近廣瀬さんの後押しもありパンも焼いてるからレシピ探して焼いてみよ!

続く

【 ビザ無しフランス修行 6 】

シェフは、自宅からコックコートで出勤してたのでそのままの格好ですけど、僕の中でコックコートは神聖な物なので、仕事が出来ないくせに当初から厨房を出るときには脱いでました。

すばやく着替えシェフの車で隣村のバーへ。
バーといっても大衆バーで皆が楽しくワイワイしてます。

この当時の僕はタバコを吸っていてシェフも吸ってたんですね。
日本で1箱250円弱の頃フランスで380円くらいでした。
しきりにシェフがタバコを勧めます。身体には良くないけど、
タバコはとても高価なんです。自分で持ってると言ってもいいからこれを吸えと。日本で僕が後輩と食事肉時と同様、下の人間にはお金を払わせないのと同じだなと感じました。
僕が若かりし頃の先輩たちも同じ振る舞いで、
お前が上に立ったら払えと身を持って学びましたから。

ぶらぶら歩いていると、
全く知らない子がタバコくれと言ってくる事も日常でしたし。

このときの給料を皆に聞いてみたら、
10万円から12万円程、僕は11万円。
シェフは知りませんけど・・・

ここで料理について僕は辞書を片手にシェフと話し
始めの頃と同じ事を話しましたのにシェフは、
「お前はフランス料理を作っているんだな」
と言ってくれたのも嬉しい一言でした。
この時、日々の賄いが美味しくないけど普通なの?
と投げかけたら、あれは酷すぎるとシェフも言っていて、たまたまシェフが作る事になった賄いはお客様にだす料理同様とても美味しかった。

何回か隣村のバーで一緒に飲んだとき、
「ミツ、今度の休み食事においで!」
と誘ってくれたのは、
とても嬉しいけど足もなければ場所も分からない!

当日シェフが愛犬と迎えに来てくれました。
そしてお家で出迎えてくれた奥さんはセリーヌ・ディオンそっくりに綺麗な人で娘はまた可愛い双子。

シェフの手料理を堪能しました。

行きつけになったバーの店主が、
ビザさえない僕にびっくり発言!

続く

 

【 ビザ無しフランス修行 5 】

僕の年が分かると掃除をしていてもアレクシーが「お前は先輩だから俺がやる」としきりに言ってきましたが、仲間だからそんなことは関係無いと突っぱねてさっさと終わらせ休憩に入ります。そして買い物に行き両手に重い荷物をぶら下げて寮に戻る。中身は殆どビール。値段は安く330ミリ入りの缶で50円程度だったと思います。ただあっという間になくなるので、ラム酒を加えアルコール度数をグイっと上げてました(笑)

渡仏する前に先輩からどんなに小さな村にもバーとタバコやさんはあると聞かされていましたが、僕が生活している村にはありませんでした。移動するには徒歩が基本、スーパーは片道30分、郵便局へは1時間かかるんです。おかげで2時間くらいなら苦もなく歩くようになりました(笑) バス停を見つけましたが1日5本程度で流しのタクシーはゼロ、どれくらいの田舎かご想像できると思います。自由に動けるけど軽い軟禁状態。

ロケーションだけは抜群に良かったですね。周りには草が生い茂った緑色と真っ青な空のコントラストの綺麗なこと、天気の良い日にはジュネーブのレマン湖に吹き上がる噴水とモンブランも見ることが出来ましたし。牛もすぐ近くで生活していましたけど、夜中に鳴かれるとさすがに寝れない。

またお店には21才のコックが一人いて、彼が毎日2回の賄いを担当していたのですが、「味覚は大丈夫か?」と思うくらいにくそ不味い。肉も魚も焼くだけでソースがない。市販のラザニアとムール・フリットが唯一食べれたくらい。シェフも何も言わない。たまに見かねたアレクシーがソース作ってましたね。普段の仕事を見ていても向上心をあまり感じられなかったなーと。

僕が着ていたコックコートは胸元に名前が刺繍してあるにも関わらず、シェフはミツと呼びパトロンはイトウと呼ぶ。(以前イトウという日本人がいたらしい)おまけにポーランド人はシミザと呼ぶ。途中で諦めました。

ある日の夜、店でビールを飲んだあとシェフがミツバーに行こうと飲みに誘ってくれたんです!

続く

シェシュシュのホームページ
https://www.chez-chouchou.com