シェフ清水のつぶやき

【 ビザ無しフランス修行 4 】

いざお寿司を作るにしてもネタはサーモン、シャリがあると言っても日本のお米とは程遠く茹でて使うからサラッサラッで粘り気無し。当然お醤油もあるわけないので仕方なく塩とレモンでサーモンに下味をつけお米は塩・砂糖・ヴィネガーを使い味付け。これだけでは足りないだろうと思い魚料理を一品用意しておきました。

食事を始めて間もなくパトロンがやって来て「寿司最高だ!」と言って戻っていきましたが、自分で食べても美味しくないしシェフも美味しくないと言う。まぁしょうがない。ただ魚料理は美味しいと誉めてくれ「俺と一緒にやるか?」と誘ってもらえたので、即答「ウィ、メルシー!」←発音が微妙に違います(笑) この日のランチからシェフの補助が始まり一歩前進です。

一度認められると一気に門が開く感じですね。仕込みの段取りから発注まで全て任してくれるようになるのにさほど時間もかかりませんでした。オードブルのポジションにいたアレクシーという名の今でも仲の良い料理人の仕込みも手伝うこともありましたが、一緒に食事に行くとフランス人の陣取っていた席に何と僕の席まで空けてあったときにはたまらなく嬉しかったなぁ。 休み前の昼に1週間貯めたチップをスタッフ皆で分けるのですが、シェフの心意気で僕もフランス人達と同じにしてもらえました。

日本から砥石を持ってきてたので昼休みには包丁をよく研ぎ、抜群の切れ味に皆大喜び、アレクシーには研ぎ方を教えてました。

いつ頃からかディナーが終わると毎晩テラスでシェフとアレクシー、僕の3人で1リットルのビールを2本飲みながら料理談義です。僕が会話に入っているときは二人とも分かろうとしてくれているし分からせようとゆっくり簡潔に話してくれるんですけど、二人で会話し出すと超早口。所々しか理解できずひたすらビールを飲む(笑) そこで驚いたのは、シェフに対しても経験関係なく自分の意見をはっきりと言うんです。正直日本では考えられない光景でした。

当時の年齢は、シェフ35才、僕31才、アレクシー23才 。
僕自身もそうでしたが、日本で23才だとまず駆け出しの坊主です。
フランスでは修行に入るのが早いので経験が何年も違います。
ある時アレクシーと二人で飲んでいた時に僕に年齢を聞いてきて31才と答えると彼は目を見開いてビックリ、逆に彼の年齢を聞いて僕がビックリ!

続く

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【 ビザ無しフランス修行 3 】

怒涛のごとく料理を出して掃除して初日は終了。 ちょうど一回り年下の日本人が一人働いていたんです。知り合いが以前ここで働いていたそうで、専門学校を卒業する時にいきなりフランスを勧められ興味本位で決めたそうです。僕も働く事が決まっていたので、他に日本人が居る事も知っていたのですが、フランス入りしたのは彼のほうが先、いざ来てみると一人ぼっちで一週間過ごしてたみたい。英語もフランス語も分からない、料理も分からない良くやっていたと関心しましたが、もったいない事に一ヶ月で帰国してしまいました。

毎朝9時から11時まで仕込みして1時間食事のあとにランチスタート、夕方5時から6時まで仕込みして1時間食事のあとにディナースタートで料理を全て出し終わると掃除をして終了です。パティシエは30分ずらして出勤してましたね。終わるのはお客様しだいですから結構遅かったように思います。

営業が始まっても野菜の下処理をひたすら行うという地味な仕事の毎日で、オーダーに参加させてもらえない日が続きました。加えて「肉やワイン・チーズはどこの国の物が1番だ?」とシェフが聞いてきます。「フランスだよ」と答えると、「そうだフランスは素晴らしいんだ」と得意顔。「分かっているから勉強しに来たよ」と言うと「それなら良い」と納得してましたけど扱いは酷いものでしたね。

賄いを食べるとき、パトロン家族は店内で食べ他のスタッフは厨房横のテラスでした。何も知らず適当に座ろうとすると、僕やポーランド人は奥のほうへ行けと手ではらわれます。

シェフに日本で「どんな事してる?」と聞かれ料理やソースの事を話しても「お前のしてることはフランス料理なんかじゃない!」と罵声を浴びせられる事もしばしば。まぁそんな事ぐらいではめげませんけど(笑)

ある日の朝、オードブルで使うフレッシュのサーモンが届いた朝、シェフが「賄いで寿司を作れ!」と僕に言ってきました。

これが転機に繋がりました。

続く

 

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【 ビザ無しフランス修行 2 】

いきなり頭の中真っ白。

お迎えが来ていると思い込んでいた為、仕事先の住所も電話番号も日本に置いてきたのがそもそも失敗。

実家の電話してお店のショップカードを探してもらい何とか電話番号を得る事が出来たのでまず電話してみることに。

パトロンに代わってもらい空港に付いた旨を伝えると衝撃の一言。
「もう着いたのか?」
事前にファックスで何回もやり取りしていたのに言葉を失いました。コンタクトが取れたおかげで気分的にはかなり落ち着き程なくしてお迎えに来てくれました。

仕事先はオーベルジュ、食事だけでも出来ますし宿泊施設もあるところです。ここへ向かう途中国境を越えるのですが、パスポートを見せる事も無く手を挙げてそのまま軽く挨拶してそのまま通過。
ここでもまたまたビックリ。

オーベルジュに着くと、
スタッフはランチを終え掃除の最中でした。その中には日本人も一人。マダム・パトロンの父(僕たちはパピーと呼んでました)・シェフを紹介してもらうとシェフが、
「フランス語話せるのか?」と聞いてきます。
少しだけ話せると伝えると頷きながら夕方5時30分に厨房に来いと。23時間乗り継いでいきなり仕事? 現在3時30分。

ここのオーベルジュは、日曜日のディナー、月曜日、火曜日のランチがお休みでしたので、自分の中で勝手に来週くらいから仕事が始まるかな?と思っていたのですが、甘かった。

マダムにお店のメニューをもらい部屋に案内されて荷ほどきしているうちに仕事開始の時間です。

初日は60名を超える団体のお客様、当然皆忙しく交わされる言葉は当たり前ですがフランス語。ポーランド人の研修生も何人か居ましたが、メインスタッフはフランス人。皆始めにフランス語話せる?と聞いてきて初めと同じやり取り。日本でも食材や数字はフランス語でしたから救われました。

仕事が始まりお皿を並べるように指示され数えてみると、全てのお皿を並べきったのに何と足りない。

続く

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【 ビザ無しフランス修行 1 】

料理人を目指した時からいつかはフランスで仕事をしたいという想いを常に持ちながら10年以上が過ぎていました。途中27才の時に宮部先輩から3年行く気があるなら手紙を書くと言われたこともありましたが、その時は躊躇してしまったんです。迷わずここで行っておくべきでした。

31才の時、
将来自分のお店を持ったとしても「フランスで仕事したかったなぁ」という気持ちは一生残ると思いようやく決心します。
宮部シェフにお願いして他の先輩から仕事先を紹介してもらいました。
この時は名駅の「和さび」というお店を立ち上げからシェフとして仕事していてそこにお客としてよく来店していたフランス人に個別でフランス語を学び準備してました。

渡航日も決まり働き先のパトロンが空港まで迎えに来てくれる事になりました。
一番安い航空券を購入したため目的地まで時間が掛かります。
名古屋空港から台北経由香港で乗り換え次はロンドンで乗り換えやっとジュネーブ着、ここまで23時間。

入国するとお迎えに沢山の人が来ていましたが、一人二人と減っていき気が付くと僕一人。
何とお迎えが来てない。

続く

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【 何故料理人になったのか? 8 】

地元に戻り二件目のお店でシェフをしていた27才の時に
待ち望んだお店に欠員が出でシェフから連絡をもらったのですが、
恥ずかしながらシェフという立場から2番手になるという事で即答せずに躊躇してしまったんです。

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翌日、師匠から電話が。
「おう、わしや」←これだけ聞くと恐い人(笑)
「お世話になってきます」
「気張れよ」
ものの10秒足らずの会話で終了。

最後の修行が始まりました。

話は戻りますけど、
元々料理人になるには反対していた母含め祖母と伯母。
母はいつ頃からか何も言わなくなりましたが、
祖母と伯母の二人に限ってはいつか止めると思っていたみたいです。
ある時「いい加減サラリーマンでもやれば?」と言われましたから(笑)
これを期に二人も諦めたようです。

1日の拘束時間はとても長く休みも少ない、
今で言うところのブラックな職業にど真中のストライク。
好きだから続けられます。

師匠から料理の基礎と人として、
先輩から更に完成度の高い料理を学んだ事が
今僕が作る料理の基本になってます。
そこに年齢を重ねて得た物で日々少しずつ表現も変化してます。

 

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【 何故料理人になったのか? 7 】

師匠の元を離れて地元の小牧に戻り
新たな修行先を探すまでとりあえず
バイトでもしようと近場で募集していたお店に面接に行くと、
社員でなら採用と言われ、
ではお願いしますと少々方向転換。

初出勤した当日の仕事終わりに歓迎会を開いてもらったんです。
その場でこのお店のシェフしてた人が、
独立するから辞める。

僕は勉強したいと思えるお店を探すための場つなぎでしたから、
暗闇の猫のように目がまんまるでしたね。
イタリアン出身の方でパスタがとても美味しかったです。

お店を辞める話が具体的になった時、
社長がイタリアンを頭でやってくれないかと打診されました。

僕の中ではフランス料理を更に勉強したい気満々でしたから
イタリアンと言われても響く訳もなく、
イタリアンを維持するなら他の方を探してくださいとお伝えして。

それなら清水の作れる料理に任せると、
言ってくれた社長のおかげで子供のおもちゃ箱サイズの引き出しから始まりました。

自分がシェフになるという嬉しさ反面、
こんなんであかんやろと思う自分。

自分自身で器量も分かってますから、
恥ずかしながら師匠に報告すると、
凄く喜んでくれたんですね。

上に立場になると教えてくれる人が当然ながら学べない立場になってしまいます。
僕の先輩であり師匠の後輩がシェフを勤めるお店で
僕が働いていたお店が

休みの日に研修生としてに受け入れてもらい多くの料理を学びました。 

スタッフの空きが出るのを待ち再び修行に入ります。

続く

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【 何故料理人になったのか?7 】

許してもらってから会話は増えましたけど
相変わらず容赦ない日々(これは僕目線、シェフは逆と思います)

ただ仕事が終わると、
「おい、飯行こか?」
「はい」
行くお店はいつも同じ和食屋さん。

シェフが通うくらいのお店でしたから何を頼んでも美味しかったですね。美味しい料理を食べながらお酒を嗜む。この頃の僕は殆どお酒が飲めなかったんですが、シェフはおもいっきり飲んでました。(笑) それでもお酒の弱い僕に一切強要する事なく自分のベースで楽しめば良いと。

30分前までは般若の顔で怒っていたシェフなのに、
お店を出ると一切怒る事なく仕事の話も皆無でした。

「お疲れ様でした」と挨拶をして帰宅。
翌日厨房では般若の顔したシェフ。
そのあと飯。

オンとオフの切り替えが自然と植えつけられて現在に至ります。

シェフが結婚されてからは度々ご自宅に招いて頂きました。
奥さまもとても料理がお上手で、
シェフから「お前遠慮なくおもいっきり食べるな」
と笑いながら毎回言われてましたね。
そんなある時、
「どれだけ怒ってもめげずについてきた」と誉めてくれたのですが、
「あんだけ怒られてめげないわけないでしょ?」と答えたら
おもいっきり笑ってました。
笑顔がとても素敵です。
もしかしたら普段強面の反動かも。
最近は中々お邪魔できませんけど
有り難いことに今でもお茶碗とお箸を置いてくれています。

僕の先輩達は、
今でも電話が鳴ると緊張するみたいですけど、
僕は冗談言えて会話の中で突っ込んでも許されてます。

シュシュのオープン時には手伝いにも来てくれまして
そのとき以来「親父」と呼んでます。

親父の下に付いたことで
とても幅広い視野が持てました。

長年付き合っていてあぁ、
認めてくれたかもと思えた瞬間は今でも忘れません。

続く

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【 何故料理人になったのか? 6  】

現在シェシュシュでお出ししているエスニック料理。
専門学校時代のアルバイト先のお店でした。

巡りめぐって正社員としてお世話になりました。
そのお店の店長が今の親父と呼ぶ師匠の後輩に当たるんです。

店長に紹介してもらいフランス料理を休みの日に学びに行く日が続きました。

シェフの作る料理全てを味見させてもらえました何がフランス料理かは分からないですけど全てが美味しい。

研修でお邪魔したいた時とアルバイトの子達には一切怒りませんでした。

僕が社員として正式に下につくとびっくりするくらい厳しい毎日。
先輩達から言わせれば、
手が出ないからよっぽどましと言われ。

ある時突然シェフがぶちギレる!

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僕には意味がわかるはずもなく、
二週間程の会話と言えば、
すいません・おはようございます・お疲れ様でした・賄いできました・いただきます・ご馳走さまでした、これでまかなえました。
相当辛い環境ではありましたが、
前の職場の事があったお陰で乗り越えることができました。

あぁ、あの時の経験が役に立ったと心底思えた瞬間です。
それがなければ間違いなく辞めてたなと思うからこそ余計にありがたい経験でした。

ある日シェフが、
「お前辞めたいと思うてるやろ?」
と聞いてきました。

僅かながら過去の経験から自分自身が感じていた事として
乗り越えるべき壁と思っていましたから、
「僕の試練と受け止めてます」
と返答したら、
シェフは笑いながら
「お前うまいこと言うなぁ」

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許したるわ!と言われ
対応が明らかに変わりました。

僕が不甲斐なかったのは分かるのですが、
何を許されたのかは未だに分かりません。

明らかに言えるのは、
僕が今料理人としているのはこの人のお陰です。

続く

シェシュシュのホームページ
https://www.chez-chouchou.com

【 何故料理人になったのか? 3 】

大手外資系のホテルに就職して料理人人生のスタートです。 大きな組織は役割毎の分業で僕の配属先はカフェレストランのコール場、主だった仕事内容はサラダやサンドウィッチを作りフルーツをカットする事。

開業し仕立ててで忙しかったんでしょう、
無料で社員用に開かれている英会話教室に出る子とも出来ずただひたすら野菜の下処理の毎日。

とにかく楽しくない、
1週間働いて野菜ちぎりのプロに成ってもしょうがないと辞職を決意。実働2週間で辞めました。

一度フランスへ行こうと工場で2ヶ月働いて貯めたお金で来たのはいいけど言葉は話せないしあても無い。
パリ市内のラーメン屋さんの大将に相談してみました。

「僕、フランスで働きたいんです」
「ラーメン屋なら大丈夫だよ」
「いえ、フランス料理が勉強したくて」
「日本で働いてそこから紹介してもらうのが良いよ」
アドバイスをもらい帰国してから働くお店探し。

求人紙を見て給料の高いお店に電話をして面接を受けても
経験も腕も無い坊主に誰もお金を払ってくれません。
料理とフランス語を一緒に勉強するのは難しいのではと
ごく当たり前のことを言われて終了。

名古屋市内のレストランを食べ歩き沢山のシェフから色んな話を聞き、働きたいお店が見つかりました。
最初にパティシエから始めその後フランス料理を学んだシェフが一人で厨房を切り盛りしているお店。11721794_806334916140818_1546565131_n
ランチタイムの終わりごろを狙って飛び込み直談判です。

「ここで働かせて下さい」
「雇うほど忙しくもないから他で働いて休みの日においで」
「毎日、朝から夜までここで働きたいんです」
「給料安いよ」
「お金よりも仕事を覚えたいです」
「それなら履歴書持っておいで」
「持ってきてます」

定休日明けの明後日からおいでと言ってもらえました。
働き始めてから給料の提示があり交通費込みで月4万円。
続く
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【 何故料理人になったのか? 2 】

叔父が和食の料理人だったこともあり

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朝早くから市場へ出掛けハマチを買ってきて捌いていました。
横でその姿を眺めなていた時が、
「料理人になろう」と決めた瞬間です。
何かが降りてきたのかもしれないですね。

休暇で戻った父親が食事を作るときは手伝っていましたし
たまにチャーハンを作ったりしていましたから興味はあったんです。

両親に話すと父親は賛成、
母親、伯母、祖母は好き嫌いの多すぎる人が料理なんてと
反対まではされませんでし
けど本当にこの道に進むとは
思っていなかったらしいです。
中学の進路指導の先生には高校へは進学せず丁稚に出たいと
相談したのですが、高校を出てからでも遅くはないと説得され渋々高校へ。

勉強よりもテニスに打ち込んだ高校生活。弱かったけど(笑)
今でも良き相談相手で信頼できる友人に出会えたことが一番です。

その後料理の専門学校に進みましたが、知識も無く
洋食=フランス料理と勝手に思い込ん
でいたので
フランス料理を志します。

知識が無いというのは、
とても楽天的に物事を考えることが出来ますから
僕は3年修行して3年フランスへ行って
戻ってから自分のお店をすると決めていました。

いざ就職すると浅はかな考えだったと厳しい現実を知ることとなります。

続くFH000036